北アルプス・針の木岳から鹿島槍ヶ岳まで縦走



山行報告  
報告者 佐々木英夫  
山行日 平成22年7月21日から23日  天候 晴れ
ルート 扇沢・針の木大雪渓・針の木岳・鹿島槍ケ岳・扇沢
 コース
タイム
 7月21日
京田辺(6:00発)・・・黒沢登山口(11:50/12:00)・・・大沢小屋(13:20/13:20)・・・大雪渓入り口(14:20/14:25)・・・針の木小屋(16:40着)

7月22日
針の木小屋(3:45発)・・・針の木岳(5:00/5:20)・・・スバリ岳(6:15)・・・赤沢岳(8:35)・・・鳴沢岳(9:40)・・・新越山荘(10:30)・・・岩小屋沢岳(11:55)・・・種池山荘(13:55)・・・爺ヶ岳中峰(15:15)・・・冷池山荘(16:40着)

7月23日
冷池山荘(3:45発)・・・布引山(4:55)・・・鹿島槍ヶ岳(5:45/6:50)・・・冷池山荘(8:50/9:10)・・・爺ヶ岳南峰種池山荘(10:40/12:00)・・・扇沢下山(14:30着)
 参加者
 山行報告 

1、後立山連峰縦走の経緯

20097月、白馬御池から白馬岳、杓子岳・白馬鑓ケ岳、そして凄味のキレット、不帰の剣を踏破唐松岳から五竜岳を目指したとき、あいにくの雨天で五竜岳を諦めて撤退した。その時、鹿島槍ケ岳から八峰キレット・五竜岳をやろうということに中廣さんたちと暗黙の了解ができていた。

2010年の7月、扇沢から針の木大雪渓を登り針の木岳、スバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳の稜線尾根を経,爺ケ岳・鹿島槍ケ岳・五竜岳までの超ロングラン縦走を企画した。当初は扇沢から種池山荘・爺ケ岳・冷池山荘を経て鹿島槍ケ岳・八峰キレット[3大キレット]を踏破し、五竜岳に至る予定だったが、戦国時代の歴史小説を読んで、富山城主佐々成政の針の木峠越えの伝承をこの目で感じ体験したかったことや、赤沢岳と鳴沢岳の鞍部の地下1000mを深く穿って、大破砕帯の未曾有の困難を克服して貫通させた不屈の精神を感じるため、その地点を通過してみたいと、たわいもない遊び心もあったのかも知れない。

いずれにしても、このコースの縦走は厳しいものになることは予想済みで、そのために厳しいトレーニングを2(修験業・栗の木、大普賢岳周遊コース)を経て臨んだ。後立山連峰の縦走はかってからの夢であった。中村清太郎等が針の木岳の命名者と聞けばやはり1度は登らなければ申しわけない。かつて針の木峠は≪悪絶嶮絶天下無比≫と評され、日本屈指の高峻な峠である。3大雪渓の魅力も又、拍車をかけて背中をおしてくれている。そんなわけで此の山行に賛同頂いた11名の参加者が集い、扇沢登山口から登り始めた。

 

2、針の木大雪渓を登る。

7月21日、扇沢登山口12時00分の出発だった。樹林帯の中の舗装道路を何度か横断しながら、今は雪解け水で激しく流れ下っている伏流谷(岩小屋沢、鳴沢、赤沢)を渡りながら、大沢小屋(標高1650m)に到着し(13;20)雪渓の情報を得る。

≪山を想えば人恋し、人を想えば山恋し≫の山岳詩人百瀬慎太郎が開設した小屋である。「夏道がところどころに現われているが、概ね雪渓は登れる」そうだ。下山してくる人に会うたび雪渓のことを聞きながら、対岸に白濁した滝が見えると雪渓尻に出た。(14;20)アイゼンを装着いよいよ雪渓登りである。見上げる斜度はきつく、立ち昇る冷却空気が雲となって谷筋を覆っている。何人かの登山者が薄雲の中に点となって登っているのが見えた。

涼風が全身を包むが、一歩一歩ゆっくりゆっくり呼吸を整えながら、ピッケルを支えに全身を前かがみにして登る。越年雪の下は轟々と冷たい雪解け水が流れているに違いない。急勾配の雪渓を一列に並び整然と歩を進める11名の姿は、まさに絵になる風景だろうが、皆、必死にアイゼンを蹴っている。何度も何度も立ち休憩を取りながら、この大雪渓を登りきらなければならない。U字型の白馬の大雪渓と違って、嶮立ったV字型の雪渓はアルプスの登高を彷彿させる素晴らしいものだった。レンゲ沢や大岩を過ぎると、いよいよ渓谷は狭く、赤石沢のノドと言われる急登を通過すると、厳しい雪渓が夏道にとりついた。雪渓は屹立して峠まで続いているが、アイゼンを外しジグザグの夏道をチョイス、16時40分待望の針ノ木小屋(2563m)に到着した。それにしても過酷な雪渓だったが、雪渓崩落時期では経験のできない充実したものだった。メンバーの皆さんとにかく良く頑張ったと思う。もう蓮華岳に登ってコマクサの群落を観る気力もなく、夕食までの間狭い峠から展望できる風景を楽しみながら、近代黎明期の登山家(W・ウエストン、小島烏水、小暮理太郎、中村清太郎等)や、盗伐者、立山信仰者、釣り人などが危険を冒して此の峠を越えて越中(富山)、信州(長野)を行き来したに違いないと想ったりした。比高.1100m・歩行距離6km・所要時間4時間40

 

3、雲上の後立山連峰を歩く。

7月22日、後立山連峰の岩稜を歩く。(針ノ木岳・スバリ岳・赤沢岳・鳴沢岳・岩小屋沢岳・爺ケ岳・冷池山荘)  朝3時45分、針ノ木小屋を発つ。ライトを頼りに岩屑の登山道を登る。東の空の雲上に茜色の光が広がる頃には、残雪をトラバースし、昨日、頑張って登ってきた針ノ木の雪渓の深い渓谷が白龍のごとく見えるようになり、蓮華岳が黒々と頭を出し、目の前に三角錐の針ノ木岳の頂上が見えた。頂上直下の雪渓を登りきると山頂で、素晴らしい雄大な眺望が広がっていた。(5;00)

斑に残雪を置いた立山連峰の切りたった山容はどっしりしている。山崎カールはテラスのように・剣岳の岩稜は殿堂のように屹立していて、黒部渓谷を隔てて岩屏風のように見える。立山から西の薬師岳までのなだらかな稜線は五色ケ原に支えられている。湧き立つ雲の中で、南には常念山脈・槍、穂高連峰と、ほぼ北アルプスの全域を眺望できるピークは完全に私たちは魅了されてしまった。

朝食の間中も感動しながら,山座同定に余念がないほどだった。縦走路の始まりのピーク、針の木岳から先の聳え立つピークは雲の中で、未知の魅惑に心が躍る。

針の木岳を辞し(5;20)、急降下の岩屑(花崗岩、輝石安山岩・熔結凝灰岩の火山岩類の破砕されたもの)の道を慎重に下りスバリ岳に向かう。主稜尾根に近い富山側を歩くのだが,道は急峻で荒々しく、岩盤は破砕され、かろうじてそれぞれの摩擦力によって支えられてるように危険度の多い道だ。黒部渓谷に鋭く落ち込んでいる支尾根には奇岩が乱立していて面白い。その形は見る者に雄大な想像力を与える。この馬の背状には厩窪のコルという鞍部がある。

小スバリ岳のビークを越え、また下って登りきると大スバリ岳の頂上(6:15)を踏む。狭い岩峰であった。天候も良く、この縦走コースが誇るダイナミックな眺望は、ますますその全貌を惜しげもなく見せてくれる。次のピークは赤沢岳である。黒部ダム湖に落ち込む西尾根は(猫の耳)岩登りのルートになっているという。岩登りのルートになっているという。

ピークのすべては、黒部渓谷や、籠川の源流に因んだ大スバリ沢・赤沢から名づけられているのだろう。

山岳誌よれば、初登山は、中村清太郎・辻本満丸・三枝威乃助らが、扇沢から稜線に登り鹿島槍ケ岳を往復し、岩小屋沢岳から鳴沢岳・赤沢岳・スバリ岳・針の木岳へと縦走したという記録がある。時を経て今、私たちはその逆コースを縦走しているのである。

赤沢岳の山頂はやさしく、8時35分に到着した。黒部ダム湖が満々と水をたたえている。

鳴沢岳への稜線は鋸の刃のように望まれ、いよいよ黒部立山アルペンルートの関電針の木隧道の上を通過する時が来る。「黒部の太陽」で世に出た此のトンネルは、アルプスの地中深く全断面掘削方式で穿たれたもので、82mにも及ぶ大破砕帯は関西電力が社運をかけて突破した未曽有の難工事のトンネルであった。この工事を特命で請け負った会社に入社したばかりの私も、北海道に勤務していて、この工事のことは悲観的に知らされていた。苦労の末当時は最端技術、工法を駆使して破砕帯を突破したと聞いたときは、皆、歓喜したものだった。トンネルは岩小屋沢(標高1500m)の坑口から黒四ダムサイトの御前沢までの約6.1km、破砕帯は糸魚川―静岡構造線に近く、アルプス造山期の褶曲運動による断層や破砕帯が黒部川流域にも及んでいたものだろう。破砕された岩石は長石を含んだ花崗岩の貫入帯である。

GPSを所持していた岡部さんにトンネルの位置を測定してもらい、先頭を行く私はトンネルの真上が今か今かと待ちわびながら歩を進めた。後方の岡部さんから声がかかり、厳粛な気持ちでその上を通過した。

大きなイベントが終わったような充実した感情を、この縦走路で会社人生の終焉を味わうことができて感激した。

やがて鳴沢岳に到達(9;40)、アルペンルートのロープウエイーやダムサイトの一部が見えた。

西尾根は岩峰を連ねて黒部渓谷下の廊下に落ち込んでいるのだ。

鳴沢岳と岩小屋沢岳の鞍部の新越乗越に山荘があり、それを目指して更に進む。もう険しい登山道を歩き始めてから6時間余がたっている。日射しはあるが涼風が気持ちよく、又、眺望の素晴らしさに、少しの疲労も感じない。荒々しい岩稜の峰から少し山容が変化し始め周囲はハイマツ帯になっている。

山荘付近の雪解け斜面で衣笠草を見る。10時30分山荘着、昼食にする。

11時00分、冷池山荘と交信することがあったら、京都田辺山友会の一行は、16時から17時頃到着予定の旨連絡してほしいことを依頼して出発した。

岩小屋沢岳には11時55分に到ち、森林限界が下がって、樹林帯や草原の中を歩き、シラネアオイや衣笠草などの花を写真にとりながら、種池山荘には13時55分に到着、縦走中登山者にはあまり出会うことがなったが、種池山荘には多くの人々が集っていてびっくりした。

針の木小屋から歩行距離11.5km・所要時間10時間10分・良く歩いたものだが、安心してはならない。これから又、爺ケ岳を越えて冷池山荘まで行かねばならないのだ。

山は人々を忍耐強くする。自分の体力の限界を超えるような過酷な自然の困難をも甘んじて感受する度量を持っているし、むき出しの非情な自然の中に自分を融合させて楽しんでいる。それが人間というものかも知れない

種池山荘を出て爺ケ岳に向かう。種まき爺の異名を持つ此の頂は、三峰からなりなかなか雄大な山である。比較的なだらかな斜面で南峰に登ることができる。登山道に現われた雷鳥のツガイを見た。

黒雲母花崗岩の砂場で、砂被りの行動は鶏のそれに似ている。私たちは雷鳥がハイマツの中に隠れるまでじっと歩を止めていた。

南峰には登らず、ハイマツの山腹をトラバースし冷池山荘へ向かう。途中で皆は爺ケ岳の中峰(1515)を往復、私は分岐で、単独行でやはり針ノ木から五竜・そして白馬まで行くという人と、しばらく山談議を交わしていた。

冷池山荘には1640分に到着した。

345分に針の木小屋を出発、約13時間黙々と、そして豪快な北アルプスの景観を眺望しながらの行程だった。   皆さん、よくぞあの険しい岩稜の道を走破したものと感謝した。

針ノ木小屋から冷池山荘まで(歩行距離15.5km・所要時間13時間00分)

4、強風のため鹿島槍ケ岳(南峰)で撤退

723日、345分、冷池山荘を出た。針葉樹林帯を抜けると乳白色の強風が山稜を駈け抜けていた。

低いハイマツの西側を登るのだが、黒部渓谷側から吹き上げる強風に、体ごと東側の切れ落ちた断崖に飛ばされそうになる。非対称山稜は南峰の頂まで続いている。風は止む様子もない。

道々、南峰から先の険悪な吊尾根を行く危険度を計っていた。頂上で天候の状況を見極め、決断をしなければと、自然に頂上への歩行が早くなった。鹿島槍ケ岳南峰(5時45分)に到着した。

まったく五里霧中の心境だった。深田久弥が称賛した鹿島槍ケ岳双似峰の吊尾根も、北峰から五竜岳に続く八峰キレットも、立山、剣岳も黒部にダイレクトに落ちる支尾根も、何もかも見えない。残念至極でいたしかたない。風をよけて朝食にし、お湯を沸かし暖を取る。しかし高度計の気圧は低下しているし、時折、突風が谷筋から吹きあがってくる。北峰への道を少し下がって見ると視界は5mにも満たない。この最悪の天候状況の中、山行を継続することは相当に危険と思った。中島さんや秋月さん皆さんにその旨を相談、少し様子を見ることにしたが、山の危険、人の危険を考えると、私の中では、それは遭難事故に直結する可能性もあると思った。天候変化の危険は、登山者の意思や、能力に関係なく他主的に襲ってくるものだ。まして鹿島の吊尾根の痩せた岩稜から吹き上げる強風にあおられたらひとたまりもない。視界0では、事故のあったときには対応の方法がない。予防策は無理しないで撤退することと判断した。寒さの中で1時間ほど山頂にとどまっていたが、天候の回復を待つまでもなく下山することにした。

またしても五竜岳への道は遠のいてしまった。期待して参加してくれたメンバーには申し訳ない気持ちと、強行して最悪の事故が発生した場合のことを考えると、苦渋の選択を「撤退」としたことに少しは安堵した。 

山を軽視してはいけないと共に、時には冒険心も必要だが、人も真摯に克己心を持たねばならない。

下山途中、最近いろいろなことが身近に起こったことに、少し臆病になっている自分を思いながら、五竜山荘のキャンセル・迎えのバスの変更依頼などした。布引岳の頂上(7時30分)を踏み、冷池山荘には8時55分、回復しつつあった天候を恨みつつ爺ケ岳南峰には10時40分、種池山荘から柏原新道を下る道々針の木大雪渓から雲上の縦走をした後立山連峰の大岩壁を望みながら、登山口には14時35分に下山した。いろいろな課題を抱えての帰京だった。

冷池山荘・鹿島槍ケ岳(往復)・種池山荘・柏原新道登山口(歩行距離19km、所要時間12時間00分)

参加者の皆さん、大変お疲れさまでした。ご協力ありがとうございました。

 
スバリ岳から針の木岳を見る
 
爺ヶ岳登山道でツガイの雷鳥をみる
 
蜂ノ木大雪渓を登る
 
感想文
 針の木岳から鹿島槍ヶ岳までの縦走
 中島貞夫
 

針ノ木大雪渓から針ノ木岳への登山、鹿島槍ケ岳までの縦走が全員無事踏破できたことは、トレーニングで事故の後だっただけに意義のあったことと思う。

五竜岳までは行けなかったが、山の天気の読みの難しさ、厳しさを体験できて今後の山行の良い勉強になったと思った。

しかし、縦走中に来たアルプスのほぼ全域見られたし、多くの花も楽しんだり,雷鳥も見たし、夏山のフルコースを味わうことができた山行だったと思いました。

来年のリベンジを期して今からトレーニングをしておきましょう。

 岡部貞雄
                  来年の再挑戦を楽しみに

昨年のリベンジで挑戦した五龍岳登頂は手前の鹿島槍ヶ岳で悪天候のため、今年もまた登頂挑戦は撤退を余儀なくされた。

 しかし残念だと思う気持ちは余りない。鹿島槍ヶ岳までの山行が本当に素晴らしいものだったからだ。また、来年の楽しみが増えたと思うのは小生だけではないだろう。

 急傾斜で危険な針ノ木雪渓を登った感動。針ノ木岳からの槍ヶ岳、薬師岳、立山、剣岳などの大展望に感動。鳴沢岳手前の針ノ木墜道(関電トンネル)の真上を通った時の感動。ガスと強風の中登りついた鹿島槍ヶ岳頂上の感動。爺ヶ岳下の種池山荘から扇沢までの下りに、針ノ木岳から縦走した山々を眺めたときの感動。山を下り3日振りに大町温泉郷で温泉に入ったときの感動。

 感動、感動・・・の3日間充実した山行はまた新たな忘れられない記憶として、残り少ない我が脳天のメモリーにインプットされた。
 秋月康敏
 

710日の大普賢岳でハードなトレーニングに参加して2124日の一大縦走に参加した。

縦走コースは扇沢から入り、針の木岳・スバリ岳・赤沢岳・鳴沢岳・岩小屋沢岳・爺ケ岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳・白岳経由で大遠見山・白馬五竜スキー場に下るロングコースだ。

 21日 京田辺を6時に出発、扇沢に着いたのが1140分、登山口を12時に出発した。

今日の歩行は6時間の計画、日本3大雪渓のひとつ「針の木雪渓」に挑んだ。最大40度もあろうかと思われる傾斜だ。当初の計画よりもかなり早く4時間半で小屋に着いたのは、雪渓歩きで距離短縮になったのだ。途中誰も弱音を吐かず数グループを追い越して・・・、雪渓歩きは充分過ぎるほど堪能した!でもきびしかった(これ実感!)

 22日 345分出発、今日の予定は13時間、天気に恵まれて素晴らしい景色を写真に撮って、爺ケ岳を目指して歩いた・・・歩いた!爺ケ岳に着いたのが12時間かかり、冷池山荘(つべたいけ)には13時間かかった、計画どおりだが中々のタフなコースだった。途中6つの山頂で記念写真を収め、自分でも目を見張るような景色がきれいに収まっていた。

花博士に色々の名前を教わり、都度写真も撮ったが今では名前が思い出せない。いつものことだからしゃーない・・・とは言うものの、チングルマの群生も数か所あり、私なりに花も楽しんだ。

爺ケ岳山頂近くで雷鳥のつがいが砂遊びをしていて、私達一行はゆっくり見ながら写真に収めた。これだけ長い時間雷鳥の踊りを見たのは初めてで、微笑ましい光景だった。

いつまでも仲良くありたいものだと改めて思った。

 23日 今日の出発も345分。雨は降っていないが風がきつい!下から、横から吹き付ける風に吹き飛ばされそうになる。ここでよろけたら300m以上転落しひとたまりもない。

ガスっていて風がきつく雨具を付けた。鹿島槍山頂には2時間で着いた、540分だ。

風が収まるのを待ってコーヒータイムにした。円陣を組んで風よけになってお湯を沸かしておいしくコーヒーを楽しんだ。しかし風は一向に収まらない、益々強くなる感じだ。吊尾根を覘いてみたらガスでよく見えないので怖さはないが、風がきつく危険だ。振られると転落してしまう。全員で相談の結果、今回は八峰キレット・五竜岳を断念することにした。

せっかく来たのに・・・の未練はあっても安全第一が基本だ。これで私は宿題として残った山は2つ目だ。次の機会を見つけて挑戦・・・と仲間と誓い合った。

 CLは大変だ!仲間達の行きたい気持ちと安全を斟酌して、英断で断念を決めたら帰路のバス手配、山小屋の断り、携帯は中々繋がらない・・・。爺ケ岳を通って種池山荘から柏原新道で、疲れがたまって休憩を何度も要請し1430分に下山した。今日も11時間かかった。

下山するとバスが来てくれていた。温泉に直行、ゆっくり汗を流し、垢を取って体重計に乗ると何と!4kg減っていた。風呂上りに仲間と一緒に飲んだビールがおいしかった!

こんな贅沢な山行でいいのか・・・とCLに感謝!メンバーに感謝!自分の足にも感謝!

やはり縦走山行はハードだ、中途半端なトレーニングでは行ってはダメだと改めて思った。

 みなさんありがとうございました。近いうちにリベンジを果たしましょう!

こんな贅沢な山行でいいのか・・・とCLに感謝!メンバーに感謝!自分の足にも感謝!

やはり縦走山行はハードだ。中途半端では行ってはダメだと改めて思った。

 みなさんありがとうございました。近いうちにリベンジを果たしましょう!

 堀 雅子
 

1日目 針の木の雪渓は、思っていたより傾斜がきつく長かった。 ゆっくり進んでもらったので助かった。

2日目 お天気が良く、針の木岳の頂上から遠くに槍や穂高が見え、薬師・水晶・鷲羽な

どが前にかまえ、北寄りに立山・剱が間近に見えた。素晴らしい眺めに感激!!下りた

り上ったりを繰り返し冷池山荘に着く。コマクサをはじめたくさんの花たちとライチョウ

ウが        が出迎えてくれた。歩けるか心配していたけれど朝4時から夕方5時までよく頑張ったと       思っ        た。リーダーや仲間の方々の温かい配慮や支えに感謝。

3日目 朝4時前、鹿島槍ヶ岳を目指す。頂上では、風が強くガスもかなり出て視界が悪

い。寒いのでレインをはおる。手先の感覚が寒さのためしびれたようになっている。

これから先の岩場に不安を感じていた矢先、リーダーの撤退宣言。

なぜか、ほっとした。あったかい飲み物が有り難かった。種池山荘まで戻り柏原新道を下りた。
 中廣正典
 

昨年の白馬大池・白馬岳から五竜岳を目指した夏山山行は、五竜岳登頂をガスと雨で断念して終わった。残念無念!そして来年は何としてもこのリベンジを果たしたいものとの要望が私を含め多数あり、是非宜しくとリーダーにお願いしたのだった。

結果、思いが通じ今年の例会山行に組んで頂いた。今年は扇沢から針ノ木雪渓を登り針ノ木岳〜鹿島槍〜五竜岳〜遠見尾根コースを踏破することとなった。3泊4日のなかなかハードなコース計画だ。トレーニング登山を通じ、クリアー出来ると思いつつもやはり一抹の不安はある。

さて初日、天気はここ4〜5日は大丈夫との予報だ。ただ3,000m級の山のこと、幸運を祈るのみ。6時過ぎ新田辺駅前をマイクロバスで出発、途中2度の休憩を経て11時半に扇沢到着。高度1,425mとある。これから1,200mを登る。それも北アルプス三大雪渓のひとつと云われる針ノ木雪渓をクリアーするのだ。大沢小屋には1時間で難無く到着。大沢小屋を暫く行ってアイゼンを付け、いよいよ大雪渓に足を踏み入れた。ズーッと向こうまで雪渓が続いている。ガスがかかりその先は見えない。一歩一歩踏みしめて進むも10歩に1歩はズルッとくる。結構斜度もきつい。白馬大雪渓よりかなり厳しい。途中座って休憩するような場所も無い。それでも時折どこからか吹いてくる冷たい風が何とも心地良い。かくして雪渓をクリアーし、針ノ木小屋直下の七曲りの整備された道を登って、pm4.35小屋に到着。3時間10分は標準タイムより20分早い。それにしても結構タフな登りだった。早速飲んだビールの美味しかったこと、いつもながら格別だ。

二日目。昨夜はpm8時に就寝、今朝は3時に起床、3時45分ヘッドライトを付け出発。直ぐ登りにかかり針ノ木岳に5時到着。朝焼けの中360°の展望を楽しみながらここで朝食を取る。ここからはガレ場・岩場の中、コマクサ等の花を愛でながらスバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳と大小の上り下りを経て10

時半新越山荘に到着。途中鳴沢岳手前では黒部ダムに続くトロリーバスのトンネル直上を、OさんのGPSで確認し暫しダム、立山ロープウエイの黒部平・大観峰駅を眺め感慨に耽る。少々早いが新越山荘で昼食となり、私は小屋にレトルトカレーを頼む。美味しい。体調はいいと云うことと解釈する。

新越を1110分に出発、ハイマツ帯、小雪渓、種池山荘を経て爺ヶ岳への途上、ライチョウ夫婦に出くわす。23mの距離で人間共に囲まれながらも少しも逃げようとしない。ここでは人間もみんな優しい、と云うことでしょう。メスの雷鳥、或いは親子にはこれまでも何度か会ったけどオスを見るのは初めて、幸運だった。かくして冷池山荘着はpm440分。13時間の山行で疲れたけど満足出来る一日だった。ビールの味は今日も格別。

三日目。出発は今日も345分。ガスがかかり天候は余り良くないようだ。やはり山並みや朝焼けを拝むことなく545分、鹿島槍ヶ岳南峰に到着。山頂西側は下から吹き上げる風が凄い。ともすれば吹き飛ばされそう。朝食を取った後、とにかく北峰まで行ってその後の方針を決めようと云う事になり、CLを先頭にスタートするも直ぐに山頂に引き返す。「吹上げる風が凄い。危険だ。少し休んで様子を見よう。」とのこと。2030分様子を見るも風の勢いは収まらない。そしてCLが決断、「今回は五竜は諦める。来年以降に又チャレンジして欲しい。種池山荘まで戻って柏原新道を扇沢まで戻ることにします。」戻りは早い。冷池山荘で30分休憩、種池山荘着1125分。昼食を終え12時出発、扇沢にpm235分着。下山途中から予定変更を連絡出来たこともあり、直ぐにバスに乗り込み温泉に直行、三日間の汗を流した。予定変更とはなったものの楽しく素晴らしい山行を無事終え、皆で乾杯したのは云うまでもありません。3,000m級の山の涼しさ、気持ち良さ、忘れられません。又来年、来よう・・・!

CLSL、ご一緒させて頂いた皆さん、本当に有難う御座いました。

(追記)単独山行の人が男、女共結構多かったことにはちょっと驚きでした。